華麗なる一族 カネボウ
華麗なる一族カネボウをご存知でしょうか。
華麗なる一族であったカネボウを紹介します


カネボウの歴史
カネボウはかつて日本最大の企業であった。カネボウは1887年に東京府南葛飾郡隅田村の通称・鐘ヶ淵(現・東京都墨田区墨田。墨堤通り沿い)に東京綿商社として創立し、カネボウは紡績会社として創業した。

戦前、繊維産業はかつての鉄鋼・現在の自動車に匹敵する基幹産業であり、カネボウは太平洋戦争直前には国内企業売上高一位を誇り隆盛を極めた。また、カネボウは鐘淵デイゼル工業(現・日産ディーゼル工業)や茨木自動車(後の茨木バスを経て現在の近鉄バスの一部)などの異業種を傘下におさめていた。

なおカネボウの「鐘ヶ淵」の通称は東武伊勢崎線・鐘ヶ淵駅の駅名としてその名を残している。カネボウの戦後の凋落。戦後、非繊維事業を鐘淵化学工業(現・カネカ)として分離独立させた(現在はカネボウと前述各企業の間に資本関係・人的関係はない)。その後、カネボウは産業構造の転換とともに繊維産業は衰退しカネボウの経営環境は悪化、労使紛争が頻発した。

こうした中、カネボウでは労働組合をバックにしたクーデターが発生し
1968年、カネボウの中興の祖と言われた武藤山治の息子・武藤絲治より当時45歳の伊藤淳二が社長に就任する(この経緯は城山三郎の小説『役員室午後三時』に詳しい)。



カネボウの労働組合
カネボウの労使協調とペンタゴン経営。カネボウの社長に就任した伊藤は労使運命共同体論=労使協調、ペンタゴン経営=多角化路線を推し進めた。これにより、「赤い丹頂鶴」とまで言われた先鋭的労組とカネボウの対立は沈静化し、カネボウのペンタゴン経営は化粧品部門という高収益部門を育成した。

特にペンタゴン経営で生まれた化粧品事業は猛烈な営業攻勢で売上を伸ばしカネボウは業界首位の資生堂を追い上げていた。しかしこれは、結果的に見ればカネボウにとって不幸であった。カネボウの労使協調路線はリストラの足かせとなり、カネボウのペンタゴン経営では化粧品以外の不採算事業、特に祖業である繊維が毎期損失を計上し続けた。カネボウの他部門が赤字でも高収益部門である化粧品部門がそれを補完する構造が出来上がり、カネボウはリストラを行う危機感と意欲を失わせた。

また、こうしたカネボウの構造転換の遅れは長く会長・名誉会長職に留まった伊藤の影響のため、カネボウのリストラが進まなかったとの指摘もある。カネボウは
1977年頃には事業目標を達成できなかったときに売上を水増しするといった粉飾が始まったといわれており、カネボウの悪しき企業風土となっていた。

ちなみに伊藤はこうしたカネボウの
"実績"が評価され、1985年に日航ジャンボ機墜落事故で経営再建が急務であった日本航空(現・日本航空インターナショナル)の副会長(後に会長)に登用される。しかし、日本航空でも労使対立が魑魅魍魎とした状態の中で得意の労使協調路線は受入れられず、結果を出せぬまま1年余りで政府により更迭された(山崎豊子の小説『沈まぬ太陽』に詳しい)。



カネボウの粉飾決算
カネボウの繰返される粉飾。カネボウは売上目標必達を厳命したものの繊維をはじめとする他の事業の赤字がカネボウの化粧品の黒字を食いつぶす収益構造が続き、カネボウの過酷なノルマ達成も不可能となった。
カネボウは
2001年度の債務超過を隠すため粉飾決算を繰り返すことになる。その一つが「押し込み」と呼ばれる方法であった。カネボウの決算前に在庫を他社に大量売却し、カネボウの決算後に買い戻す仮装取引を繰返していた。

後にカネボウの経営浄化委員会は
2000年からの2年間で約100300億円の利益などの水増しが行われ、カネボウの有価証券報告書への虚偽記載があったと指摘している。また「宇宙遊泳」と呼ばれる手法もカネボウでは用いられた。
1998
年に巨額の不良在庫が経営問題化していたカネボウの子会社・興洋染織との取引は担当者間で同社の赤字を埋める目的で売れ残った毛布をカネボウが買取り、別の取引会社数社との間で毛布の売買が成立したように仮装していた。

このカネボウの仮装取引は
1998年以降さらに拡大し、大量の不良在庫を移動させ続けた上、資金を回収できない状態が続き、最後にはカネボウ本体が不良在庫を引受けることになった。結局、このカネボウの損失は522億円まで膨らんだ。こうした粉飾はカネボウの事業部毎に行われており、カネボウは2003年度には化粧品部門で約16億円、ファッション部門で約47億円、ホームプロダクツ部門で約9億円、新素材部門で約10億円売り上げを水増ししていた。

カネボウの粉飾決算が繰り返されたのはそれを黙認するカネボウの企業風土に加え、
20003月期から導入された連結決算を重視する新会計基準(実質支配力基準)も大きく影響していた。
カネボウの連結決算により最終利益が赤字であり債務超過に陥っていることが判明するとカネボウには銀行融資が不可能になり、またカネボウの上場廃止も確実であったためである。カネボウは
2002年度決算で業績不振の子会社15社を含めた連結決算書作成を義務づけられ約260億円の赤字を7000万円の黒字に、約1900億円の債務超過を92600万円の資産超過にカネボウは粉飾した有価証券報告書を提出し、翌年もカネボウは同様の手口で粉飾を繰返した。

しかし、こうした架空売上は悪戯にカネボウの損失を累積させ、カネボウの抜本的な改革は先送りされた。結局カネボウは
20043月末で3553億円にも及ぶ債務超過につながることになる。最終的には2007630日、カネボウとしての最終営業日・解散。 



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